阪神大震災、追悼式典に皇太子ご夫妻や首相が出席

 もう、震災から15年の月日が流れたんですね。
当時を振り返りますとTVで目にした風景、それは災害という物ではなく戦争が起きた後の東京をイメージ
させました。例え復興を始めたとしても未来に絶望した人も数多くいたかと思います。当時の球団である
オリックスは頑張ろう神戸をスローガンに挙げ、活躍し被災者の方々に希望を与えました。
昨日もドラマ形式で神戸新聞社の震災を新聞で伝えるまでの7日間を放映していました。
家自体が無くなりTVやラジオも無く情報が欲しかった市民にとって力強い事だったと思います。

ですが、政府の縦割り行政の弊害がもろに出て指示待ちや自体を把握できていないなど散々たる物であり
ました。それに比べコンビニ業界などや企業は迅速な対応で救援物資などを現地に送り届けていました。
被災者の方々にとって必ずしも何時までも記憶していたくない方々もいるかと思います。
その方々の気持ちも十分察し出来ますが、未来へ語り続けていかなければならない事の一つではないで
しょうか。

昨今、東海沖地震や関東直下地震など何時起きてもおかしくない状況と言われ続けています。
我々は如何に被災したとき冷静な対等が取れるか、「お隣さん」がよく分からなくなりつつある都会で
協力し合えるか不安はもの凄くあります。

ではでは。ノシ

 兵庫県南部を震源とする最大震度7地震で6434人が亡くなり、戦後最大の災害となった阪神・淡路
大震災は17日午前5時46分、発生から15年を迎えた。犠牲者を追悼するろうそくの炎が夜明け前の被災地
にともり、人々は犠牲者の鎮魂を祈った。

 神戸市中央区の東遊園地では、市と市民団体による追悼式典「1・17のつどい」が開かれた。約1万本の
竹灯籠(とうろう)を並べて描いた「1995・1・17」の文字が揺らめくなか、地震発生時刻に参加者全員が
黙祷(もくとう)した。

 祖母を亡くした神戸市北区の下浦裕美さん(49)が遺族代表として「あの時のことがついこの間のこと
のように鮮明に思い出されて涙が出ます。震災を知らない子どもたち、これから生まれてくる子どもたち
にも、ずっと伝えていきたい」とあいさつ。矢田立郎市長は「震災で得た経験を他の被災地支援に役立て
ていくことが私たちの使命」と決意を述べた。

 午前11時45分からは、兵庫県などが主催する追悼式典が兵庫県公館と「人と防災未来センター」周辺の
2カ所で同時開催され、県公館の式典には皇太子ご夫妻や鳩山由紀夫首相が出席した。皇室としては2005
年1月の天皇、皇后両陛下以来、現職首相は00年の故小渕恵三首相以来となる。

 昨年11月時点で、神戸市の人口約154万のうち震災後に転入した人が26%、生まれた人が00%を占め、
13分の1以上が「震災を経験していない市民」になった。神戸市内の主な復興事業では、13カ所の土地
区画整理、2カ所の市街地再開発が実施され、新長田駅南地区の再開発など2カ所を除いて完了した。
参考(http://www.asahi.com/national/update/0117/OSK201001170021.html)
参考(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100117-00000021-jij-soci)