国母は8位 トリノの雪辱、プロの本音

 まあ、今回は運がなかったとしか言いようがないでしょう。
メダル候補といわれながらオリンピック直前に起きた服装騒動。これがなければ案外取れたかも知れませ
んが今となっては何ともいえません。まあ、年齢から言っても次のオリンピックも目指せるでしょうし、
その時は頑張って欲しいですね。

ではでは。ノシ

服装問題に揺れ続けた、国母のバンクーバー五輪が終わった。

 2回目の演技が終わり、表彰台に手が届かないことが決まると、国母はヘルメットとゴーグルを宙に
放り上げ、悔しさをあらわにした。1回目に転倒して顔面を強打し、口の周りから出血した。それも
あって競技終了後、報道陣の問いかけの最中に口に含んでいた水を、何度も吐き出す場面もあった。

 感情の表現方法は器用ではない。それでも周囲の関係者には、以前にはうかがい知れなかった素顔を
見せるようになった。

 騒ぎが大きくなってからのこと。国母は、萩原文和監督の部屋を一人で訪れ、「すみませんでした」と
言葉にした。萩原監督は「今回初めて長い時間、話をした。それで彼に対する考え方が変わってきた。
しっかり聞けば、きちんと気持ちを伝えてくる。本当は素直なんだ」。

 また、この日、スタンドで国母の姿を見守った母由香里さん(44)のもとには「反省している。申し訳
ないことをした」という内容のメールが届いたという。由香里さんは「ご迷惑をおかけして、親として
おわびしたい。きちんと指導したい」と話した。

 国母の五輪出場にゴーサインを出した日本代表選手団の橋本聖子団長は「照れ屋で、自分が思っている
ことと表現がかみ合わなかったりする面はある。でも国母からは内に秘めたアスリート魂を感じている。
これからは、内に秘めた人間性というか、素直さを表現できるようになってほしい」と期待する。

 国母はプロ選手。中学時から賞金大会に出場、映像ソフトの収入もある。日本オリンピック委員会
強化指定も辞退した国母は五輪について「大きな大会の一つ。特別なものではない」と言い続けた。

 その国母が、秘めていた五輪に対する思いを初めて口にした。06年トリノ五輪では予選で敗退。「4年
前の悔しさは晴らせたか」と問われると「はい」と答え、「この後に続く本当のスノーボーダーが五輪を
目指してくんなきゃ、おれがまた出るつもりでいます」。さまざまな重圧から解放され、ふと本音が漏れ
た。そして21歳の青年は、こうも付け加えた。「自分のスタイルを出せた。いろいろあったけど応援して
くれた人には感謝している」
参考(http://vancouver.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100218-00000141-mai-spo)