魁皇引退 燃え尽きて土俵に別れ

 限界を押してよく頑張ってくれましたよ。
若・貴時代から今場所まで幕内で頑張るだけでも大変だったのに、長く大関に居続けたわけですし。
記録のためにと出場し続けたのでしょうけど、日本人力士が横綱大関に1人しかいなく最後の砦にも
なっていたわけですし。栃東琴光喜などがいたらなあとも思いますが・・・。
今後は1日も早く日本人横綱大関が誕生して欲しいですね。

何はともあれ約18年の力士生活お疲れ様でした。

ではでは。ノシ

幕内在位107場所。2カ月に1度の本場所を18年近く勤め、ようやく到達する数字だ。気が遠くなるような
のりを歩んできた魁皇が、土俵に別れを告げた。

 体の手入れを怠らなかったことも、力士寿命を延ばした。24歳だった97年夏場所で左足付け根に大けが
をし、故障との長い闘いが始まった。以後、腰や両足の痛みに次々と見舞われたが、取組前後のマッサー
ジでケア。節制を重ねて170キロ台の体重を10年以上キープした。その結果、右上手をつかめば負けない
という「型」で押すことができた。

 魁皇がトップに立つ幕内勝利数の2~6位は、上から千代の富士北の湖大鵬武蔵丸貴乃花
また、優勝5回は柏戸らと同じ回数。一時代を築いた横綱たちに引けを取らない数字を残しながら、最高
位に届かなかった。一因は、優しすぎる性格にある。88年春場所で一緒に初土俵を踏んだ曙や若乃花
貴乃花の兄弟が出世街道を突き進むのを横目に、いつも「オレはオレ」とマイペース。3人が引退する度
にも、この言葉を口にした。ライバルを押しのけて一足早く大関になっていれば……。

 幕内最多勝利記録も、今場所更新した通算最多勝利記録も、横綱になれなかったから達成できたという
皮肉な見方がある。だが、03年の貴乃花引退後、モンゴル出身の朝青龍白鵬横綱として君臨した大相
撲にあって、日本人力士のトップとして土俵を支えてきた功績はかけがえのないものだ。
参考(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110719-00000105-mai-spo)