桂宮殿下薨去 車いすで懸命に励まれた公務 元サラリーマンの横顔も

天皇陛下のいとこにあたる桂(かつらの)宮(みや)宜(よし)仁(ひと)親王殿下が8日、66歳で薨去された。
7日までは血圧、脈拍などに異常はなかったが、8日朝に容体が急変された。お若いころはバンド活動に
励むなど“行動派”の一面をお持ちだった桂宮さま。昭和63年には急性硬膜下血腫で倒れたが、リハビリ
をへて約3年半後に復帰、車いすで公務に臨まれた。ここ数年は体調を崩して表舞台に出られる機会は
多くなかったが、元側近らは「明るくざっくばらんな方」とそのお人柄をしのんだ。

 桂宮さまは学習院中・高等科時代にはビートルズに熱中、バンドを結成し、自らリードボーカルを担当されたこともある。オーストラリア留学から帰国した翌年の49年10月から60年5月まで、NHKに嘱託として勤務し、サラリーマン生活を経験された。

 NHKでは、セレモニーやイベントでの切符もぎり、大道具、小道具の運び役など裏方もご体験。
「サラリーマン社会は人間関係も複雑。サラリーマンの苦労もよく分かりました」と、昭和63年1月に
三笠宮家から独立して桂宮家を創設した際に振り返られた。

 宮家ご創設から約半年後、急性硬膜下血腫で倒れ、車いすでのご生活に。しかし、手術やリハビリに
耐え、約3年半後に公務に復帰された。

 皇族が車いすで外出すれば、施設のバリアフリー化などが注目され「ほかの障害者の役に立てる」と
周囲に語られた。身体や言葉に障害が残ったが、ご自身が総裁を務める団体の行事には折に触れて出席
された。

 6年から20年に敗血症で入院するまで、毎年、秋田県で開かれる「桂宮杯全日本学生水上スキー選手権
大会」を名誉総裁として欠かさずに観戦されていた。

 社団法人「日本工芸会」の総裁を務めていた桂宮さまは、敗血症で長期入院するわずか5日前の20年9月
23日にも、都内で開かれた「第55回日本伝統工芸展授賞式」に出席されていた。

 側近を務めた元職員は「あまりにざっくばらんなので、宮邸で話をしていると敬語を使うのを忘れて
しまうこともあった」と語る。別の元側近は「お客さまを迎える際にじゅうたんの掃除がきちんとしてい
ないと『失礼だ』と怒られた。厳しい面もあった」と明かす。

 生涯独身を通された桂宮さま。ご自身の障害と闘いながら、できる限りの公務に励まれたご生涯だっ
た。
参考(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140608-00000558-san-soci)