ムバラク氏が辞任、軍が全権掌握

 遅かれ早かれ辞任せざるを得なかったでしょうね。
チュニジアでの政変が飛び火しこのような事態まで発展しました。時には変わらなければいけないことも
あります。今回のことも民衆が望んで起きたことで大統領も支持を得られなければ即辞めるべきだったん
でしょう。9月の大統領選強には出ないなどと言うことで事態の幕引きをはかろうとしたことが余計な
事態の長期化を読んでしまったわけですよね。
一番の問題は誰が大統領となり国の方針はどうするかですが、一番懸念されることは現在の反イスラム
体制がイスラム化へ変わり、その事が中東へ広まることが最悪の事態へと進むことのようです。
どちらにせよ悪い方向だけには進んで欲しくはないと思います。

ではでは。ノシ

エジプトのスレイマン副大統領は11日テレビ演説を行い、同国を約30年にわたって統治してきたムバラク
大統領が辞任したと発表した。これに伴い、軍の最高幹部会議が全権を掌握する。発表に先立ち、AP通信
など複数のメディアは、ムバラク大統領が首都のカイロを出て、東部シナイ半島の保養地、シャルムエル
シェイクに滞在していると報じた。チュニジアで1月に起きた民衆蜂起による政変がエジプトにも飛び
火、同月25日から各地でムバラク氏の退陣を求める大規模な反政府デモが続いていた。ムバラク氏は次の
大統領選への不出馬を表明する一方、即時退陣は拒否していたが、辞任圧力に抗しきれなかった格好だ。

 移行体制は軍部やスレイマン副大統領を中心に協議が行われる見通し。地域大国エジプトの政権崩壊は
他のアラブ諸国にも大きな影響を与えそうだ。

 政府当局は1月28日以降、カイロなど主要都市に夜間外出禁止令を出し、インターネットなどを一時
遮断してデモを押さえ込もうとしたが、階層や世代を超えて団結した「反ムバラク」のうねりは止まる
ことなく拡大していった。

 28日には各地で金曜礼拝後の大規模デモが発生。ムバラク氏は翌29日のテレビ演説で全閣僚更迭とスレ
イマン総合情報庁長官の副大統領任命を発表したが、2月1日に全土で100万人規模のデモが起きたのを
受け、今期限りでの退任を表明した。

 しかしデモ隊側は4日を「追放の金曜日」として、改めて即時退陣を要求。「盟友関係」の米国もムバ
ラク氏退陣を視野に「秩序だった移行」を支持する姿勢を打ち出していた。

 ムバラク大統領は10日深夜のテレビ演説で、スレイマン副大統領に大統領権限を移譲する考えを示す
一方、即時辞任を改めて否定していた。デモ隊の要求に一定の理解を示しつつも、自身に向けられた批判
には「心が痛む」と語り、「死んで埋葬されるまでこの国にとどまる」と国外に出る考えがないことを
強調していた。

 治安維持を担っている軍部は11日、声明を発表し、権限移譲などムバラク大統領の民主化努力を支持
し、憲法改正後の自由で公正な大統領選挙実施を保証すると述べた。

 ムバラク氏の即時辞任を求めるデモ隊は10日の演説に反発をいっそう強め、「挑戦の金曜日」と銘打っ
た11日のデモは全土で約100万人が参加、スレイマン副大統領の発表を受けてカイロのタハリール広場
地響きのような歓声に包まれた。
参考(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110212-00000503-san-int)